塾・予備校に頼らず慶應義塾大学文学部に合格したIくん 前篇
映えある第1回インタビュー、話を聞かせてくれたのは一浪から見事慶應義塾大学文学部(以下:慶應)に合格したIくんだ。
Iくん受験プロフィール
合格校 | 慶應文、東北経済(現役) |
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不合格校 | 一橋経済、慶應経済 |
受験科目 | 国語、数学、英語、世界史、倫理政経、生物 |
共通一次結果 | 761/900 |
高校のレベル | 県立トップ校 |
「一浪で慶應」というだけならそこまで珍しくないが、Iくんは特筆すべき特徴がもう2つある。ひとつは塾や予備校に全く通うことなく、自学自習のみで学習をすすめたところ。もうひとつは某MARCHの大学に通いながら、仮面浪人で合格を勝ち取ったところだ。
破天荒にも思える受験体験ながら、しっかりと勉強の本質をつかんだ彼の合格ストーリーを聞いてきた。
全3回にわたり、彼の受験体験をここに載せていく。
最初に述べておく。これは単なる合格体験記ではない。一人の少年が強い意志と努力で成長していく、そんな物語である。
中学時代 – 一橋大学との出会い –
慶應を受験する人は、専願だけでなく、国立大学との併願または滑り止めとする場合も多い。Iくんも元から慶應を目指したのではなく、第一志望を超難関国立大学である一橋大学(以下:一橋)としていた。
というのも、東北地方出身のIくんは、中学生ながらに「将来は東京の企業に就職し、マスメディアの仕事に就きたい」と考えていたのだ。そのため、地元の大学よりも東京の大学を進路として考えるようになる。このころから就活四季報を読み込むといった、熱意ある、大人びた中学生であった。(ちなみに筆者が中学生時代に読みこんだのは、強いて言えば「金色のガッシュベル」である。熱意が違う。)
そんな彼と一橋との出会いは、父親の勧めであったという。
父親自身が一橋の卒業生というわけではなかったが、当時一橋を目指していたという話を聞いたことから、Iくんは一橋大学を意識するようになった。
高校時代 – 一橋大学合格に向けて –
高校1年生になったIくんは、オープンキャンパスで一橋大学を訪れる。
頭の良さそうな人たちが沢山いることに衝撃を受け、それと同時に憧れを抱いた。彼の中で一橋を目指す気持ちが大いに強まった瞬間である。志望校が決まった彼は、この時期に遊んでいたスマホゲームを消し、一橋大学合格を目指す受験モードに入った。
また、それとタイミングを同じくして武田塾(日本初の授業をしない塾を謳う学習塾。授業を受けることよりも自主学習の重要さを説いている)と出会い、自学自習で対策を進めることを決意。そこから、学校の勉強よりも一橋合格のための勉強に重点を置くようになる。
その後、高校2年生になったタイミングでも、熱狂的なファンである巨人(「球界の紳士たれ」をモットーにしている紳士集団。最近ちょっと紳士じゃなさそうな人が入団した)のオープン戦の観戦がてら、一橋大学の入学式を覗きに行っている。
高1でオープンキャンパスにいくことに引き続き、この時点でかなりの一橋大学フリークになっているのがよくわかる話である。
受験生向けのイベントでもなく、単なる入学式だ。当然ながら新入生をはじめ、その保護者、新歓の在校生という当事者たちしかいなかったわけだが、そのアカデミックな雰囲気、伝統を感じさせる校舎、そして入学式に咲く桜の綺麗さに魅了された。
東北出身の彼に、入学式の桜はひどく情緒的に感じ、自分もそこに立っていたいと感じいったという。
こうして、彼の照準は一橋大学合格という一点に定まったのである。
繰り広げられる高校とのバトル – 教師からの妨害工作と戦う日々 –
ここで少し、Iくんの出身高校に関しての話も載せておこう。
彼が入学した高校は地元のトップ公立校。
東大・東北大・医学部合格を至上命題としており、上記に合格する見込みのない生徒は地元の国立へ行く。基本的に進学に際してはこれしかルートがなく、上記以外の大学を志望校に書くと、担任から書き直しを命じられるというなんとも信じがたい状況にあったらしい。
そんな学校があることに東京出身の筆者は驚きを禁じ得ないが、地方進学校ではままあることのようだ。地方おそるべし。
そんなわけで、高校1年生のIくんは「一橋のオープンキャンパスに行く」ということすら高校側に言えなかったらしい。そのため、オープンキャンパスの際は「首都大学(現東京都立大学。東京都立大学→首都大学東京→東京都立大学と謎の校名変遷をたどる謎の大学。)を見に行く」と嘘をつくはめになったそうだ。
そのような状況のなか、前述したとおり自学自習の武田塾マインドを持ったIくんは
- 学校の試験 120人中90位
- 模試の成績 120人中2位
という、極端な受験特化マシーンへと変貌と遂げる。
学校の先生に嫌われる典型的なタイプの生徒である。
当初は志望大学を書くことさえ憚られていたIくんだったが、高校2年生時に一橋の入学式の桜に魅了された後は、それまでのためらいを無くした。それまで誤魔化していた志望校調査にも、堂々と「一橋大学 社会学部」と書くようになった。
その度に東北大への書き直しを命じられたらしいが、もはや彼の強い思いを覆すことは誰にもできなかった。ここから、Iくんの孤独な戦いが始まる。(ちなみに高校2年生の筆者はというと、メイド服を着て授業を受け、親に通報された挙句こっぴどく怒られるという辛酸を舐めている。これが意識の違いというものだ)
これもまた東京の進学校では考えられないことだが、彼の学校で開催される模試は東大模試と東北大模試しかなかった。講習なども含め、本当にその二校向けの指導と対策しかしていなかったのだ。
そのためIくんは移動と模試代の数万円を自腹で払い仙台まで遠征し、一橋大模試を受けていた。
C判定をとったときも、担任の先生には「たまたまだから」と冷たくあしらわれ、相談もできない状態だった。担任がこの有様で、他の頼れる人も学校にはいなかった。
現役時代の受験勉強
学校の先生はおろか、友達にも本当の志望校を打ち明けることができなかったIくん。
孤独だが、確実に勉強を進めていた彼の高校3年生の受験時代をみていこう。
7月に部活を引退した後は、平日は授業以外で7時間の勉強時間を捻出していた。
彼の平日ルーティーンは下記の通りだ。
- 朝の6時半~8時の予鈴まで1時間半勉強(実家が学校から離れており、地元駅を6時に出る電車を逃すと、次発が9時のため、必然的に早い時間に学校に到着する)
- 昼休みの40分間、図書室で勉強
- 放課後は16時から19時半(電車が来る時間まで)学校の図書室で勉強
- 帰宅後、夕食諸々を済ませて21時から2~3時間勉強
これだけで、如何に彼が自学自習を身に着けていたのかがわかる。
さらに、彼の学習量は週末に更に増える。
- 朝の7時の開店と同時に地元のミスタードーナツに行き、コーヒーとポンデリング(計200円のセット)で、図書館開館時間である9時まで粘り勉強
- 開館時間いっぱい(9時~17時)図書館で勉強
- 17時からは再びミスドに戻り、ミスドの閉店時間である21時まで勉強
あまりにもストイックな生活を行っていたため、ミスドの店員は朝晩に彼の顔をみると頼まずともコーヒーとポンデリングを出してくれるようになったらしい。まさに東北のカントとは彼のことである(カントの行動をみて時計の狂いを直す人がいたくらい規則正しい生活を送っていたらしい)。
このような生活を、彼は受験期が終わるまで続けた。
学校の講習や塾・予備校の授業は一切受けることなく、冬季に入って学校の授業がなくなってからは、世界史の添削以外学校に頼ることは何もなかった。
彼は国立一本、私立大学はセンター利用を除き受けていない。
どこまでも実直に、自分の力だけで受験に挑み、一橋大学合格だけを目指した。
現役受験勉強期間の結末
現役の時点で、彼の成績ははっきり言って申し分ない。
受験が終わり、返ってきた成績開示では、Iくんの得点は566点。
一方、彼が受けた年の一橋大学社会学部の合格最低点は569点。
文字通り、センター試験の1問、たった一つのマーク分の僅か3点が彼の合否を分けることとなった。
そう、彼の望みは、残念ながら叶うことはなかったのである。
人一倍思い入れの強かった彼の悲しみは、推して知るべし、である。
誰にも頼らず、自分一人で考え、行動し、彼は自分の力だけで3点差、センター試験1問差まで上り詰めたのだ。
合否が分かった後、彼は一橋受験を応援してくれた数少ない友人と公園で人知れず泣き叫び、悲しみを分かち合った。その場所は前日にその友人の東北大合格を一緒に喜んだ公園だった。こうして彼の現役時代の挑戦は終わった。
彼はその後、後期試験で東北大学に合格している。
Iくんの高校は彼を支えることをしなかったが、彼は高校にしっかりと実力と結果をもって自分のやったことの正当性を示したのだ。
合格者の成功ストーリーは注目を集め、脚光を浴び、受験生の参考とされる。
しかし、合格者の数だけ、もしくはそれ以上に不合格者がいる。誰も落ちた人間の話など聞こうとしないし、知ろうともしない。参考にするどころか、むしろ反面教師にするかもしれない。しかしそれは違う。Iくんの挑戦から学べることは多くあるのではないか。
僕は最初に言った。これは単なる合格体験記ではない。
Iくんの強い意志、挑戦する姿勢、弛まぬ努力。
彼の1年間から僕たちが学ぶべきものは多くあるように思う。
一橋合格は叶わなかったが、センター利用でMARCHに受かったIくんは念願の東京生活をスタートさせるはずだった。しかし、彼を待ち受けていたのは忌まわしきコロナウイルスである。
晴れて大学1年生になった彼がなぜまた一橋を目指そうと思ったのか。
第2の挑戦が始まろうとしている。