現役時全滅から慶應義塾大学 商学部合格をつかんだKくん 寮の仲間と支え合い挑んだ受験体験記
今回インタビューに答えてくれたのは、河合塾の寮に入り競い合うことで、見事慶應義塾大学(以下、慶應) 商学部の合格を勝ち取ったKくんだ。
Kくん受験プロフィール
合格校 | 慶応商学、早稲田文、早稲田文構 |
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不合格校 | 早稲田商、早稲田教育、同志社 |
受験科目 | 国語、英語、日本史 |
共通一次結果 | – |
高校のレベル | 県立トップ校 |
多くの人にとっては馴染みのないことだと思うが、Kくんは受験のために上京して河合塾の寮に入り、そこで浪人時代を過ごした。
筆者の知り合いには寮経験者はいなかったため知らなかったが、そこはおよそ受験生活とは思えないほど絆が育まれる空間だったようだ。
受験の典型的なイメージは、殺伐としている、全てを捧げて勉強する、ひたすら合格を目指して熾烈な競争を行う、といっハードなものが多いように思える。
しかし、苦楽を共にした彼らの物語はまるで青春ドラマをみているかのようだった。
生まれも育ちも違う彼らが河合塾の寮で出会い、励まし合い、そして合格を勝ち取っていく過程をみていきたい。
現役時代 - 志望校全滅の憂き目 –
Kくんは中国地方の出身で、県下トップレベルの県立高校に通っていた。
一般な時期に受験勉強を開始した彼であったが、あまり要領良く物事を進めることができる性質ではない自覚もあり、高校3年生の時に国立志望から私立専願の早慶志望に変更した。
自分なりに勉強は進めていたが手応えは薄く、結果的に現役時代は早慶上智をはじめ受験した学校は全て不合格となってしまった。
勉強が上手く進んでいないことを途中からうっすらと感じていたようで、苦手であった数学を切り、英語・日本史・国語での私立専願へと変更したことにもそういった彼なりの不器用さが現れている。
受かる人は総じて感じていたであろう、物事の本質を理解した感覚、明確な点数の上昇、模試の判定による自信、実力がついていくことへのモチベーションなどの上向きの感覚が、インタビューで聞いている限りでもあまり現役時代は感じていなかったことが伺えた。
そのままでは進学することもできなかった彼は浪人することになるのだが、そこでリベンジを誓い、上京し河合塾の寮に入ることとなる。
浪人時代 - 現役の反省を活かす対策 –
現役時代には満足行く結果を出せなかったKくんではあるが、浪人を決めた彼は特筆すべき対応をみせた。
自分の性格を把握した上で「必要な勉強量」を課す
まずひとつは、自分の性格を把握して、どれだけ勉強しなければいけないかを明確にしたことだ。
インタビュー中、Kくんはしきりに「自分は要領が良くない」とこぼしていた。
しかし、彼の凄い点はそこで諦めたり考えを止めたりすることでなく、「自分が結果を出すために必要な勉強量」を確保することを自分に課したことだ。
現役時代に日本史の点数が足りないと自己分析したKくんは、その日本史を中心に河合塾の講義以外に10時間/日の勉強が当たり前と言えるほどのハードスケジュールを開始し、毎月の勉強時間、教科ごとの内訳などのデータを管理するようになった。
月 | 総勉強時間(h) | 1日当たりの平均勉強時間 |
3月 | 229 | 7:23 |
4月 | 311 | 10:22 |
5月 | 314 | 10:07 |
6月 | 330 | 11:00 |
7月 | 374 | 12:03 |
8月 | 317 | 10:13 |
9月 | 222 | 7:24 |
10月 | 251 | 8:05 |
11月 | 256 | 8:32 |
12月 | 287 | 9:15 |
1月 | 302 | 9:44 |
2月 | 156 | 5:34 |
平均 | 279 | 9:08 |
Kくんに見せてもらったデータの一部、月ごとの総勉強時間
現役時代に「苦手だった数学を切る」「国立志望から私立専願に切り替える」と修正を繰り返していることがその片鱗だったように思えてならないが、彼は現状をしっかりと把握し、その上でどのような改善策を立てるべきかという方針を決めることに長けていたのであろう。
河合塾で良い先生に出会ったことで勉強方法の方針もブラッシュアップされ、結果として現役とは比べ物にならないほど伸びていくことになった。
思い切りの良い切り替えの早さ
もうひとつ取り上げたい点は、その切り替えの早さだ。
というのも、Kくんは受験に失敗した直後、3月から既に再起動していたのだ。
前述の通り、現役時代の敗因は日本史での得点不足だと分析したK君は、浪人が決定してすぐに勉強をはじめ、3月末までに日本史の問題集「一問一答」を1周解き終わるほどの勢いで進めていた。
みせてもらったデータによると、まだ寮にも入っていないこの時点で、すでに日に7時間の勉強をこなしているのである。
自身の失敗に過度に打ちひしがれること無く、浪人することが決まったと同時に目標へ進み始めることができたというのは、とても大きなポイントだったと言えそうだ。
国立大学の結果を知ってそこから浪人を決めるパターンと比べると、単純に数週間分早くスタートを切り、その分時間を勉強にあてることが出来ていたのである。
寮生活の多大なるメリット
3月からすでに勉強を開始していたKくんはその後、上京して河合塾の寮に入った。
同じような状況の受験生が集い、切磋琢磨する環境は彼に良い刺激を与え、ここから更に勉強に没頭していくことになる。
ちょうどその頃から広がり始めたコロナの影響により、河合塾の授業も夏前まではオンライン中心だったようだ。しかし、3月から勉強をはじめるほど集中していたKくんは失速すること無く、講義時間以外で日に10時間を超える勉強時間を確保している。
前述のデータを改めて見ると、9月以降はやや自習時間が減ってはいる。これは決して勉強が疎かになったわけではなく、予備校の授業が本格的に受けられるようになり、そちらに重点を置いた結果だったという。
それなりに授業がしっかりと行われるようになってからも、1日8~9時間はしっかりと自習時間に充てていたということだ。
12か月間にもわたる受験生活全体において、1日当たりの平均勉強時間が9時間を超えるという、如何に彼が努力したかということが数字をみるだけでも良くわかる。改めて強調したいことであるが、これは予備校の授業の時間を除いた、自習時間のみの勉強時間である。
予備校の授業時間を考えると、彼は寝食以外の時間はほぼ机に向かっていたことになるだろう。
この学習量をみるとKくんの圧倒的な努力だけが目につき、寮に入っていなくても合格を目指せていたようにも思える。しかし彼の話を聞くに、励まし合い競い合う存在の有り難みがとても大きかったそうだ。
それは、ただ一緒に頑張っている存在がいる、というだけの話ではなかった。
青春漫画のキャラクターがするそれのように、テレビのある部屋でワイワイしながら机を囲んで勉強する、というモノでは決してないのだ。
勉強それ自体は各自でしっかりとやっていた。ほとんど全ての寮生が、その環境を与えてくれた両親に感謝し、目標としている大学に入ることを夢みて必死に頑張っていた。
そんな日々の中、昼食の時だけは皆が一同に会し、不安を吐露したり励まし合ったりといった会話がなされる。それはあたかも、運命共同体といってもいい間柄だったのだろう。
辛い受験生活の中、昼休みに仲間と話してる時が至福の時であったとKくんは話してた。
仲間の真摯な努力を感じる日々
直接言葉で伝えなくても、友の努力している姿が励みになったことが、何度もあった。
ある日、習慣となった朝型生活のスケジュールに沿って、朝4時起きで勉強を始めようとしていたときのこと。何の気無しにベランダから薄暗い外を覗くと、隣の部屋の電気が漏れていることに気づいた。
隣の部屋の彼も、4時前から勉強をしていたのだろうか。それとも4時まで勉強をしていたのだろうか。あいつも頑張ってるな。自分も頑張ろう。自然とそう思えたと、Kくんは照れ笑いをしながら話してくれた。
インタビューの間、何度も「寮生に恵まれた」と言っていた彼は、歳をくった筆者が恥ずかしくなってしまうほど真っ直ぐに感謝の言葉を友だちに伝えていた。その真っ直ぐな姿勢は、間違いなく幾度となく周りを鼓舞していたのだろう。互いに尊敬できる相手だと言うことが、その言葉の端々に感じられた。
良い塾講師との出会い – 勉強の本質を掴む –
Kくんが河合塾の寮に入って得たメリットは、心強い仲間と出会っただけではない。
良い教師に出会い、勉強に対する考え方が変わったことも大きかった。
特に日本史に関して、勉強の仕方という根本的な部分からイメージが大きく変わったという。
その先生の授業を受けるまでは、時代間の流れや、歴史的イベントの経緯などが理解できていなかった。しかし授業を受けてからは、歴史の学習とは単に用語や年号を暗記するのではなく、ストーリーで覚えること、流れをつかみながら覚えることが重要なのだと理解することができた。この体験により、暗記一辺倒という現役時代からの学習から脱却し、理解力が格段に良くなったようだ。
その効果のほどは、基本的な理解が問われる共通一次で結果がでたことに如実に現れている。
現役時代、Kくんは日本史で半分ほどしか得点できなかった。
しかし、地道に確実に勉強を進めた彼は、89点という結果を残したのである。
年代や用語の正確な知識が問われ、前後関係や流れをきちんと理解していないと高得点など望むべくもない、というのが共通一次に対する筆者のもつ印象であるのだが、勉強の本質を知ったKくんは、対策をせずともこれほどの得点をとったのだ。
早慶合格レベルの知識を得ていれば当然のようにこれだけの結果を出すことができる、ということをきっちりと示してみせた。
合格と進学と受験で得た経験
そんな彼の努力は、本番である私立受験で見事に実った。
残念ながら第一志望であった早稲田大学商学部に合格することはできなかったが、早稲田文学部、早稲田文化構想学部、慶應商学部に合格。将来ご両親の事業を継ぐという使命の下、慶應商学部への進学を決めた。
受験生活全体を振り返っても、Kくん自身は大きな後悔なく受験を終えることができたと言っていた。強いて言えば、過去問対策をもう少ししておけば良かったとのことだ。
これは浪人生に有りがちなのだが、なまじ現役時代に過去問演習を1回してしまっているため、どうしても過去問演習を後ろ倒しにし、直前期に見直せばいいや、と考えてしまう。
Kくんの場合、早稲田の文学部、文化構想学部の過去問演習はしっかりしたようだが、第一志望の商学部は現役時代に一通り(過去10年分)解いてしまったため、浪人時代はおざなりになってしまったと話していた。これを読んでいる人で身に覚えがある場合は、秋ごろには過去問演習を勉強に取り入れることをお勧めしよう。
大きな後悔なく、無事早慶にリベンジを果たしたKくん。
受験を経て成長を感じた点について最後に聞いてみた。
勉強に特化した生活習慣
Kくんがまずはじめにあげたのは、自立した生活をしっかりと送るようになったことだ。
親元を離れて寮に入ったことで、今までの何気なく過ごしていた1日のスケジュールを見直すことになったのだ。
勉強時間をしっかりと確保するという明確な目的があったからか、講義以外の勉強時間を確保するため、彼は朝型に生活リズムを変更した。元々はそうでなかったらしいのだが、朝から勉強する形が向いていたようで、時間の捻出や良いリズムの形成といった時間管理に明確な好影響が出ていたようだ。
これは丸々環境を変えたことによる大きなメリットだろう。
コンフォートゾーンにとどまっているだけでは決して変わらなかった自分の中の時間の使い方が、受験勉強に向けて特化した形に変更されたわけだ。
なかなかこうした形で完全にプラスにできる人も多くはないと思われるが、ことKくんに関して、入寮は最高の選択だったと言っていいだろう。
新しい考え方との出会い
また色々な先生と出会うことで、様々な学び方や考え方を吸収することができたのも受験を通して得た良い経験だったそうだ。
前述の日本史学習などが筆頭だったようだが、今まで知らなかった学習方法や物事の理解の仕方といった勘所を得ることは、物事に対する理解を根本から変えてしまうほどの破壊力をもつ体験だ。困難な事柄でも、一度「こうだ!」とわかってしまうと、後に色々と応用できたり、どこかに繋がっていることはままある。Kくんは受験勉強を通じ、こうした値千金の体験を得ることができたのだ。
こうした経験により、なにより自分で物事を考えるようになれたことがとても大きかったという。これは、要領が良くないと自分を評していたKくんにとっては、人生で幾度と得ることのない、大きな財産になっただろう。
受験という経験が活きる時
インタビューを通してあれこれ振り返った彼は「受験をして良かった」と言っていた。
もちろん、精神的に辛い時もあっただろうし、逃げ出したいことも何度もあっただろう。
しかし、受験を振り返って「良かった」と言えることこそ、彼が悔いなく受験を終えることができた何よりの証なのだろう。
前回、Iくんのインタビューでも感じたことだが、難関大学の合格者は自分で考える力というものをしっかりと持っている。自分の弱点は何か、自分に合った勉強計画はどのようなものかを、誰に言われるでもなく、結果的にきちんと選択しているのだ。
自己分析、自己理解、そして情報やアドバイスの取捨選択というのは、勉強と同じくらい重要な要素だ。何より、周りがアドバイスをすることはいくらでもできるが、最後に決断し、実行に移すのは本人しかいない。がむしゃらに勉強する前段階としては最も重要とさえ言えるかもしれない。
それをきっちりとこなしてきたKくんは、今後の人生の節目に待ち受ける岐路や困難、重大な決断を前にしたときにも、きちんとした判断をしていくのだろう。
過酷な受験を乗り越え、合格を勝ち取った彼であれば、今後どんな壁に直面しても考えることのできる人間へとなれたのではないだろうか。インタビューを通じて、彼の未来の姿が見えるような、そんな気がした。
編集後記
慶應商学部のB方式は、A方式で課される数学の代わりに小論文を課される。
あまり意見が交わされることも無いかもしれないが、この小論文が実に独特だ。
厳密に言ってしまえば、あれは小論文とも言いづらい。
経済学部の概念を取り入れた、数学パズルのような問題である。
事実、令和2年に取り上げられた課題文は、ノーベル経済学賞受賞教授ジョセフ・スティグリッツを取り上げたものであり、そのトピックも、ミクロ経済学の概念である「逆淘汰」に関するものであった。
本記事内で、Kくんは数学が苦手だったため、国立志望から私立専願に変えたと書いた。
しかし上記の通り、慶商B方式は数学的な論理的思考力が問われる小論文が課されており、得てして取り上げられるテーマは大学で習う経済学の概念を題材にしたものであることが多い。
ぶっつけ本番でこのような数学パズルに対応するためには高度な論理的思考力が必要であり、これをパスしたKくんも、間違いなくしっかりと数学センスは持ち合わせていたと言えるだろう。
文系である彼に商学部の数学的な勉強は難しく感じることも多いだろうが、受験勉強のときのように、きちんとした学習法や考え方を習い、自信をもって勉強していって欲しい。
さて最後になるが、実は今回のインタビュー、同じ寮生であるTくんと一緒に行っていた。
同じ寮から慶応に合格したため、二人一緒に入学式に来ていたのだ。
過酷な受験期を一緒に乗り切ったことで二人は非常に仲が良かったが、そのタイプは正反対といっても良いものであった。
次回は、Tくんの受験ストーリーを紡いでいきたい。
浪人に際して目標校を引き上げ、日本最難関校のひとつである京都大学に挑んだ、挑戦の物語である。