文理選択の基本
今回は、受験生にとってある意味運命の分かれ目となりうる文系理系の進路選択について書いていく。
文理選択においては、どうにも楽な選択肢として安易に文系を選んでいるような事例が散見される。
しかし本記事では、そういった「なんとなく楽そうだから文系」「数学が好きだから理系」というイメージ先行の進路選択ではなく、大学、そして将来のキャリアを踏まえた上での選択をすべきだ、というアドバイスをしていきたい。
明確な目標があればそれを基に選択する
文理選択をする上で一番大切なことは、将来の展望が明確になっているかどうかである。
目標が決まってさえいれば、志望校や志望学部が自ずと決まり、結果として文系理系どちらに進むかも決まることになる。
例えば医者なら医学部に進む以外はなく、弁護士なら法学部を目指すのが良いだろう。
研究者になりたい場合でも、研究内容によって文理が決まってくる。
医学を学ぶなら理系、法律を学ぶなら文系、マテリアルやバイオを研究したければ理系、源氏物語や遺跡を研究したければ文系、というふうに半ば自動的に選択されることになるだろう。
正直なところ、高校生までの十数年間で自身の将来を明確に思い描き、理想の職業を決めることのできる人はそう多くないだろう。良いか悪いかは別にして、早い段階で強く興味をもてる対象を見つけることのできる幸運な人たちは、そこまで多くないものである。
しかし「本当に勉強したいこと」が決まっているのであれば、それを基に進路が決まり、進路が決まれば文理も定まり、勉強すべき内容も決まってくるというわけだ。目標があれば、たとえ苦手意識があったとしても、それを跳ね返して勉強するだけの熱意が得られるだろう。
ただし、前述した通り、目標から逆算して文理選択ができるような人はかなり少ないはずだ。
そうした場合、学校や予備校の指導や友達との会話などによって方向性が決まっていくわけだが、大抵の場合、どうも単純に「理系科目が苦手だったら文系にいけ」というような消去法的選択で進められてしまっていることが多く感じる。
そういった思慮の浅い理由で文理選択を進めるのはあまりにも早計である。
それを、もう少し深堀して考えていこう。
進路が決まっていないのなら
いきなり一方に立っての意見となってしまうが、将来何になりたいかわからない、やりたいことがわからない、というのであれば高校2年生までは理系の勉強をするべきだ。
理由は単純で、理系のほうが将来の進路選択の幅が広がるから、である。
ゴールドマン・サックス、マッキンゼー、日本銀行、三菱商事などといった、いわゆるサラリーマン最高峰と見なされる会社には、文系理系という区分けはなく、どちらでも入ることができる。
例えば日本銀行ならば経済学部しか取らなかろう、というイメージを持っている人も中にはいるかも知れないが、日銀の採用ページには幅広い学部から採用することがきちんと明言されている。
しかし、世の中には、誰でもなれる職業以外に、資格や特定の学部卒業を要件としている職業というものがある。
医者、歯科医師、獣医師、建築士*、薬剤師といった職業に就くには、大学で特定の科目を履修し、その上で国家試験に合格する必要があるのだ(*建築士は一定年以上の実務経験があれば2級建築士の受験資格は得られるが、かなりの遠回りとなる)。
これは、文系の学部に入ってしまうと(と、いうよりも対象の理系学部に入らないと)資格取得という前提条件を達成できず、対象の職業に就くことができなくなってしまうということになる。
反対に、文系資格の難関と言われる弁護士、会計士(税理士)、不動産鑑定士などは、試験に合格できるだけの優秀さがあれば誰にでも取得可能性はある。
弁護士は基本的には法科大学院に進学しなくてはならないため法学部で学ぶのがもちろん有利になるが、他の学部出身者も入れるようなコースが有る。会計士や不動産鑑定士などは大学院進学要件もないため、勉強して試験にさえ通れば取得できる資格だ。
決して、これらの文系資格が簡単にとれるものだと言っているわけではないのだが、そもそも対象学部に入っていなければ受けることすらできない、ということが起こり得ないという部分が重要である。
したがって、「将来やりたいことは無いから、とりあえず適当に文系行くわ!」と言う同級生がいたら、その人は実に矛盾したことを言っていることになる。「将来やりたいことがまだわからないから、ひとまず理系に行けるように勉強しておくわ!」というのが合理的な判断だ。
特段医者や建築士になりたくなくても
引き続き身も蓋もないことを言ってしまうことになるのだが、文理選択の際にあなたがどうしても文系に行きたいと思う理由はなんだろうか。
先程挙げたように、文系大学への進学が必要になる職種、弁護士や歴史学者、図書館司書になりたい、という明確な理由があれば全く問題ない。夢の実現に直結する大学・学部を目指して頑張ってほしい。
しかし、多くの人の本音はそこにないだろう。
あなたが文系を選んでいる最大の理由は「楽」だからではないだろうか。
確かに、文系であればカルボキシル基だのキルヒホッフの法則だのといった概念を学ぶ必要もないし、漸化式だの微分方程式だのいつ使うかわからない意味不明な計算もしなくて良い。そういった勉強をするよりも歴史の教科書を読んでいるほうがまだ苦痛も少ないし、国語の文章を読んでいる方が簡単に思えるだろう。
こういう風に「楽に楽に」と進んだ結果、あなたは文系を選択したのではないだろうか。
それも大いに結構だ。何も自ら苦痛な道をあえて選ぶ必要もあるまい。
あなたの人生はあなたが舵を取るべきだし、それに対してほんとうの意味で責任をとれるのはあなたしかいないのだ。自由に選択するべきであろう。
しかし、このように「楽に楽に」進んでいったとき、そのしわ寄せをいつ食らうか。
それはキャリアを選ぶとき、つまり「就活」のときだ。
どういった形でそのしわ寄せがやってくるのか、大学がどのような場所か想像しづらい君たちにかわり、少しだけ実態を載せて説明してみよう。
文系の就活が大変になる理由
文系学部というのは不思議なところで、勉強をする人はいくらでもすれば良いし、しない人はどこまでも楽ができるようになっている。
「楽に楽に」と文系を選んだ学生が、大学生になってから勉強に目覚めることは残念ながら5%もないだろう。もちろん、その奇特な5%はそこから人が変わったように学問にハマるわけだが、あくまでマイノリティである。
ほとんどの学生は勉強をすることも、学生時代にしかできないような貴重な体験をすることもなく、毎日ダラダラと起きてきて、大学をサボり、バイトに出かけ、帰宅すれば深夜までスマホを弄る、という自堕落な時間を過ごす。
そうして、いざ就活シーズンになると、慌ててキャリア選択をすることになる。
最初のうちは「営業マンになんかなりたくない」「グローバルで活躍する人材になりたい」「組織の潤滑油になれます」だのと希望を口にすることもあろうが、内定がもらえないままシーズンが進んでいくと、「どこでもいいから早く内定をくれ!」というふうに追い込まれてしまう。
こういった結末を迎えてしまう理由は単純明快、4年間みっちり勉強してきた理系学部生や5%の勉強している文系学部生のほうが、単純に自堕落学生よりも優秀だからだ。
また採用側も、全く勉強をしていない学生をとるくらいであれば、まだ体育会の学生のほうが体力・メンタルともに優れていると判断するのは間違いない(ちなみに体育会に属する人の中には、勉強も疎かにしない超人的な人が極少数ではあるが存在したりする)。
そんな優秀学生に、楽な生活を無為に送ってきた学生が敵うはずがない。
こういった形で、高校時代から「楽に楽に」と進路を決めてきた学生は、最後の就活でそのしわ寄せを食らうことになる。文系の選択をする時期にはまだぼんやりとしか思い描け無いかもしれないが、未来の自分が苦労する、ということだけはわかってもらえるだろうか。
高校3年間と大学4年間の計7年間は楽に過ごせるかもしれないが、その後のキャリア、定年までとしたら40年で思ったような幸せを得られないかもしれない、まさにアリとキリギリス理論だ。
もちろん、自堕落に過ごしても抑えるところは抑えていい会社に行く人もいれば、真面目に勉強しても面接が苦手でうまく内定を貰えない人もいるだろう。
しかし、大抵の場合は上記の通り、頑張っていた人が評価され、ぬるま湯に使っていた人は大変な目にあう。
あなたはどちらを取るだろうか?
理系選択が茨の道なのは確か
さて、理系を選択することにメリットが明らかに多いためここまで理系アゲ、文系サゲをしてきたが、ここで公平に理系のデメリットを考えていこう。
単純に理系は勉強が大変
そもそもこれは実に不公平だと思うのだが、早慶の理系学部は理科2科目を課すが、文系学部は社会1科目しか課さない。これは難関国立大学でも同様で、私の知る限り、文系で社会2科目を2次試験で課すのは東大くらいのものだ。
このように理系を選んだあなたは、必然的に1科目分多く学ばなくてはならない。
単純に大学合格を目指すのであれば、科目数が限られているという意味で文系のほうが負担が少ないのは確かだ。
また、理系は大学に進んでからも、少なくとも文系よりも勉強をしなくてはならない。
それは高校時代までと同様に、理系は積み重ねの学問だからだ。
四則計算ができなければ中学数学ができないし、中学数学ができなければ高校数学はできない。これと一緒で、一定の理解がないと次のレベルの内容が理解できないことになるため、継続的な勉強が必要となってくる。
また、実験系の授業は当然のように出席とレポート提出が必須であるため、楽な文系の講義に有りがちな「一回も授業に出ないで、試験日に教科書に書いてあることを丸写しすれば単位がもらえる」ような感覚では進級も卒業もできないのだ。
大変な分、価値の高い人材になれる
勉強に忙しい学生時代を送っていると、文系学部の学生と比較して「どうして理系はこんな勉強に追われているんだ」「全然学生らしい生活ができていない」というような感覚になってしまうかもしれない。
「学生らしい生活」をしているのはむしろあなたの方なのだが、まあ言いたいことはわかる。
しかし、あなたの4年間は決して無駄にならない。
昼夜逆転のフリーターの如き生活をしていた多くの文系学部生と比較すれば、就活でのあなたの価値は比べ物にならないレベルになっている。
研究職に就きたくない、理系出身だけど商社に入りたい、外資系に入りたいという目標を掲げたときに、入り易さが段違いになる。
別に就活が学生生活の全てではないのだが、それでも大半の人間は就職することになるし、卒業後のキャリアというのはあなたの人生の時間の多くを捧げるものだ。
やりたくもない、面白くもない仕事をただこなすだけに人生の貴重な時間を使うよりも、希望した仕事、行きたかった会社で過ごす時間は幸福度が格段に異なる。
あなたの苦労は必ず報われる、これもまたアリとキリギリス理論なのだ。
理系に行く必要性を感じないあなたへ
結局、理系のデメリットは「卒業後の人生で報われる」という最大のメリットの前では無効化されてしまうレベルだろう(中にはブラック企業並に厳しい研究室などもあるようだがそこはうまく情報収集して回避して欲しい)。
やはりお前は理系信者じゃないか、と思われそうな意見であるのだが、純然たる事実であることはどうか理解してほしい。
仕事なら何でもいい、会社なんかどこでも良い、と言うのであれば、文系で遊び呆けてそのまま社会人になるのも一興だし、これ以上ガンバリズムの押しつけをする気はない。
また、明確になりたい職業が決まっているが「潰しが効くように大学は出ておけ」などと親に言われた、といった場合であれば、文系のほうがのらりくらり過ごせて都合が良いだろう。
大卒というカードを手に入れておくかどうかは就活において大きな差がつくため、完全に割り切っている場合に関しては戦略として文系で楽に過ごすという考えもアリではある。
名門大学でなくとも、例え中退しているような人でも、大きな成果を出すことももちろんあるし、大学で人生がすべて決まることがない、というのもまた事実ではある。
ここまでに挙げた理系のメリットを手放してなお文系を選択するのであれば、せめてこういった判断をすると腹を括るくらいには考えてから決めて欲しいところだ。
文理選択の時期を過ぎている場合
言いたいことはわかったが、もう高2の終盤を迎え、今から理系の勉強をするのはとてもじゃないが間に合わない、という人もいるだろう。
短期間で難関大学レベルまで勉強を進めるのは並大抵の努力では成し得ないだろうし、理系に進むために志望校のレベルを落とすと言うのも本末転倒だ。
そういった学生は無理に理転などせず、文系できちんと希望大学に合格しよう。
そして、そこから将来のキャリアを充実させるためには、入学後「5%の奇特な文系学生」を目指せばよい。
簡単に書いているがこれは間違いなく苦行である。
周りの大半は自堕落な学生であり、遊びの誘惑も多いだろう。更に、大学において本気で勉強している人の優秀さは半端じゃなく高いレベルのことが多く、容易に突出した成果を出せるものではない。
理系に進んだ自分と同レベルの価値を手に入れるためには、それ相応の努力をしなければならないということだ。文系でいうと、せめて勉強をする学生になる必要があるというわけである。
結局のところ、楽な道を選び続けると最後にそのしわ寄せを受けることになるということに変わりはない。反対に、どこかで苦労をするとその分のご褒美を受ける確率は高まる。
重要なのは、どういう人生を選択するのかということだ。
文理選択は人生選択の最初の一歩目といっても過言でない。
悔いのない選択をするためにも、どれほどの違いが出てくるのかだけはしっかりと把握しておくべきだろう。
編集後記
僕がただの理系信者なのではないかと思われてしまいそうな記事になってしまったが、決してそうではなく、あくまで皆のためを思って書いていることを理解してほしい。
偉そうに講釈を垂れてきたが、私自身は私立文系出身だ。
ではなぜ私が色々と理系事情を知っているのかと言うと、高校まではバリバリの理系だったからだ。
Sim Cityが好きだった私は、将来は都市開発や都市計画の仕事をしてみたいと考えていた。したがって、当時進学先として目指したのは京大の工学部地球工学科だった。
数ⅢC(当時数学Cという科目があった)までやったし、物理化学という理系の王道科目で受験に挑んだ。
また、卒業大学は慶應経済だがそれは一浪して入った大学であり、現役時は明治大学の理工学部建築学科に短期間だが在籍していた。つまり、明治理工中退→浪人→慶應経済卒業というのが私の学歴なのだ。明治理工時代は実験の講義も受けたし、量子力学の授業なども楽しんで聞いていた。
このように、文転組だからこそ文系理系それぞれのメリット・デメリットが人よりも多少わかる自負がある。
文転して痛感したことは「文系ってこんなに楽なのか」ということだった。
科目数は少ないし、数学も理系数学より簡単だ。
そしてこれはあくまで主観ではあるが、明治理工の学生の方が慶應経済の学生よりも余程真面目に勉強していた。
これだけを基準に文系と理系の単純比較はできないが、慶應はそのブランドに値する学生を輩出しているのかと言われると、素直に首を縦に振れない部分が確かに存在していた。
こうした経験から理系の人材のほうが優秀であり、市場価値が高いという意見となったわけである。かなり一方的な立場からの意見となってしまったが、実体験としてその差を目の当たりにしてきた感想として、多少は納得していただけるだろうか。