受験戦略へのアンチテーゼ:赤本はさっさと解くべし
新年度に入り、受験生はそろそろ大学受験への危機感が本格的に出てきた頃ではないだろうか。
これまでもこのブログでは何回か紹介してきたが、最難関校であれば早ければ高2の夏ごろから、遅くとも高3の1年間は受験勉強一辺倒な生活になるだろう。
受験勉強をするうえで重要な項目のひとつに、いつ頃から赤本(過去問)を解いていくか、ということがある。
過去の記事では高3の夏ごろから志望校のワンランク下、または同レベルの大学の赤本対策をするように書いたが、最近はもう少し早い時期から過去問を解き始めてよいのではないかと考えるようになった。
この記事は「高3の夏以降から過去問対策をしておくべき」という、よく語られる受験の常識とは少し異なり、より早い時期から取り組み始めることの優位性について考察していきたい。
赤本に取り組むのは高3の夏頃からで良いといわれる理由
そもそもなぜ、過去問対策をするのは高3の夏以降だといわれるのだろうか。
簡単に言ってしまうと、過去問を解きはじめる前に基礎力を一通り固めておかないと意味がないからだ。
準備不足なまま過去問を解いても、点数は伸びない。
点数が伸びなければモチベーションは下がるし、自信も失ってしまうかもしれない。
「なぜわからないのかもわからない」という状態で、結果だけを得ることになってしまうわけだ。
こういった悪循環にはまってしまわないように、ある程度は解けるようになっていると思われる(言い換えればこの時期に基礎力がついていないと受験戦争の入り口にも立てない)高3の夏以降になってから赤本に手を付けよう、と言われているわけだ。
自分自身の経験を踏まえても、この言説は一理ある。
例えば高2の夏に過去問を解いても、よほどの進学校でもなければ練習にも対策にもならないだろう。「高校のおおよその範囲を履修し、大体の単元を理解している」という状況でなければ、過去問をやってもほぼ全てが「わからない」で終わってしまうだけなのだ。
そうであるならば、まずしっかりと基礎学力、すべての単元の学習を優先させる方が得策だ。
逆に言えば、東大の合格者が桁違いに多い某高校などは、早々に高校の学習領域を終わらせて、発展的な演習をこれでもかとこなしている。そういった下地がないのであれば、あまり早い時期に過去問に取り組むべきではないのである。
過去問対策を早々に始めるべき3つの理由
本記事では、上に記した常識とは違い、早々に過去問をはじめるべきという意見を掲げている。
そこでまず考えておきたいことは、高3の秋以降から過去問演習をすることのマイナス点だ。
最大のデメリットは「とにかく時間が無いこと」だろう。
高3の夏まで、しっかり基礎固めをした。
そうしていざ過去問に挑んでみて、もし思うように点が伸びなかったらどうだろう。
想像してみてほしい。
貴重な夏休みはもう終わってしまった。
これから模擬試験も毎週のように入ってくるし、共通テスト対策もしなくてはいけない。
併願校の準備にも時間を使わなくてはならず、本番までの時間がどんどん少なくなっていく。
時間の余裕がほぼ無いタイミングで本命の過去問に苦戦したら、焦りばかりが募ってしまうのは目に見えている。
勉強や対策に充てる時間が少ない、というのは受験生にとって最大の問題であり、可能な限り回避するべきリスクである。
過去問に対するスタンスを定めておく
59歳で京都大学経済学部に合格した瀧本哲哉氏が書いた『定年後にもう一度大学生になる―一日中学んで暮らしたい人のための「第二の人生」最高の楽しみ方』を最近読んだ。
同氏は、赤本対策をほとんどせず、各大手予備校が出している予想問題集や過去の大学別模試(いわゆる冠模試)の過去問集ばかり解いていたという。
理由は、過去に出題された問題や単元がそっくりそのまま再び出ることはないからだ。
だったら、各大手予備校の講師陣が頭をひねって考えてくれた予想問題のほうがよっぽど出る可能性が高い、というのがその理屈だ。
この本の内容と私自身の経験をもとに、早くから赤本を解くべき理由を3つ挙げたい。
- 過去に出題された問題が出ることはない
まずは、先ほど載せた瀧本氏の意見そのままの受け売りだ。
特に理科や社会など、単元ごとに出題内容が明確に分かれているような科目では、過去数年で出題された分野が出題される可能性は低いだろう。
例えば、世界史の近現代史でキューバ危機が前年に出題されていたら、今年はそのトピックが出題される確率はほぼ無いといっていいだろう。近くとも米ソ対立の歴史、くらいは範囲が散るのではないだろうか。
社会系のテストで更に極端な例になるが、時事問題などが次年度も同様に出題されることなどもほぼ無いといって良い。
稀に問題作成に関わった教授の専門や趣味などで似たような問題が出されることはあるが、考えるだけ無駄な領域だろう。
そういった点を踏まえると、過去問で高い点を取ろうが低い点しか取れなかろうが、過度に一喜一憂する必要はない。自分が受ける本番で出題されない(であろう)年の問題が解けたところで意味はないからだ。
それに引き換え、各大手予備校の冠模試であれば話は違ってくる。受験のプロともいえる予備校講師たちは、当然過去の出題単元を考慮に入れて問題を作成している。
同様の内容が出題される可能性は比べるまでもなく高いといっていいだろう。 - 早い時期から出題傾向をつかむことができる
元々、学校や塾の先生がよく言う時期よりも早くから過去問を解いてしまえ、というアドバイスをしていた。詳しくはこちらの記事などを読んでみてほしい。
そういった意見をもっていたのだが、1)の理由と合わせて改めて考えてみると、もっと早くから過去問を解いてしまっても良いかもしれない、と思うようになった。
最低限の基礎力を整えることができたのであれば、高2の冬くらいから手を付けても良いし、高3の春ごろから解いてしまっても問題は無い。
何事にも言えることだが、早いに越したことはない。
遅きに失することこそが、最大のリスクだ。
早い時期に挑戦して思うように点が取れなくても、「まあそりゃ、この時期に解いて高得点なんか取れるほど甘くはないな」くらいに開き直ることができる。
冒頭では、点が取れないことでモチベーションが下がる、自信を失ってしまう、という危険性について言及した。しかし、自信喪失も、早い時期であればその分リカバリーに時間をかけることができる。
「全然点が取れない!」と思うまでは同じかもしれないが、「もう時間が無い!おしまいだ!」ではなく「時間はまだある!もっと頑張らないと!」と思えるようにできる。この差は大きい。時間に余裕をもつ、というメリットはおそらく読者の皆さんが考えている以上に精神的に違ってくる。メンタルの安定感を上手くコントロールすることができれば、モチベーションは下がるどころか上げることができるだろう。高2のうち、もしくは高3の春くらいの挫折やスランプであればいくらでも回復できる。
高3の秋ごろ、直前期に落ち込むよりも断然良いことは容易に想像できるだろう。
早い時期から取り組んでおくことができれば、出題傾向や実際の出題様式(記述式の場合は記述の長さや字数制限、選択式との出題数のバランスなど)を知ることができるし、難しい問題はどこまで解くか、どこから捨てるかかなど、時間配分のテクニック的な部分も身に着けることができるだろう。
- 過去問を丁寧に復習すれば他の志望校の勉強にも役に立つ
本番直前期に過去問演習をする場合、他の勉強や模試の準備などに追われ、十分に復習や振り返りの時間が取れないことだろう。
間違えた部分くらいは見直したり解説を読んだりするかもしれないが、選択問題でたまたま当たっていた、というようなまぐれの得点などは復習がおざなりになってしまうかもしれない。
単に「正解していたから」という理由だけで復習をしない、見直しを十分にしないのであれば、理解度を誤解してしまう分、やらないほうがマシかもしれない。
1)では、過去数年以内に出題された単元は、おそらく当分出題されない、対策する意味が薄い、というようなことを書いた。
しかし、本命校の過去問の内容が、併願校で同じように出題されるかもしれない。苦手な単元や、不得意な科目の発見などに役立つかもしれない。直接的に志望校の対策とはならないかもしれないが、受験勉強全体というもう少し俯瞰的な視点でみれば、間違いなく有用な受験勉強の一つだ。
そういう意味では、早い時期から過去問演習をして、時間をかけて丁寧に復習と見直しをするべきだろう。早い時期から対策をスタートさせることの優位性は、使える時間が多くあることだ。やったらやりっぱなし、ではなく、時間をとって見直しをすることこそ、過去問対策の本来の、そして最も重要な時間の使い方である。
単元のある科目とない科目で対策を変える
ここまで、過去問対策を早い時期に進めることの有用性について書いてきた。
しかし、まだ習ってない単元、基礎力が身についてない範囲の過去問にやみくもに取り組んでしまうのは、あまり意味がない。
単元ごとに明確に学習内容が異なる科目
江戸時代まではしっかりと頭に入っているが、明治時代はまだこれから、というタイミングで明治時代について出題されている過去問を解いても、見直しや復習時間が多くなるだけであまり効率的ではない。
電磁気の理解が不十分な中で電磁気の問題を解こうとしても、どだい無理な話である。
微分積分の知識があっても、ベクトルの問題は解けない。
社会や数学をはじめとした理系科目は単元ごとに内容が大きく違うため、まずは科目の網羅的な理解が優先となる。こればかりは、いくら早期の過去問演習の有用性をあげても意味は無いだろう。
もし、これらの科目であっても早い時期から過去問に取り組むのであれば、習った範囲や単元の大問だけを抽出して解いてみる、というのが精々だろう。
わたしとしては、早期の過去問演習であれば、全問を試験時間に倣って解かなくても良いと考えている。
もし、通して解かないと気持ち悪いと感じる完璧主義であれば、さっさと単元を一通り網羅するしかない。学校のペースや塾の先生の言うことなど、無視してしまって良い。彼らはあなたの受験の責任をとってくれない。自分が良いと思う方法で学習するのが一番だ。
単元ごとに明確にわかれていない科目
一方、英語や国語は単元があるようでない。
別に仮定法過去完了を習っていないからといって英文が読めないことはないし、国語の教科書を網羅していないからといって、現代文の問題が解けないなんてこともない。
極端な話、現代文に関しては高1からでもある程度解けるだろう。
英語も、単語さえわかればなんとなく内容を理解することは可能だ。
わたしにとって、英語と国語は「習うより慣れよ」という感覚が強い科目だ。
多くの文章を読み、問題を実際に解きながら、記述式であれば方法、選択式であれば正解の選び方などを身に着けていく、というやり方が良い。
よりシステマチックに解いていきたいのであれば、読解のテクニックが載っている参考書を一冊読んでから問題を解いていけば良い。
実際に過去問を解いて、なんとなくでも志望校の出題傾向(文章のテーマや難易度)を理解していくことが十分、試験対策の一貫になる。これらの科目に関しては、単語の暗記は重要だが、それ以外にも「通学や息抜きに本を読む(できれば試験に出ていたトピックを選んでみる)」といったことも、間接的ではあるが有効になってくる。
何でもかんでも早くからやれば良い、ということではない。
しかし、各科目の特徴を理解することで、最も効果的な時間の使い方や学習方法を見出すことができるだろう。
本番対策は冠模試や大学別対策問題集を使う
ここまで読んできたのであれば「では、高3の夏休み以降はなにをすればいいのだろうか?」「どのように実践力を身につければいいのだろう?」と思う人がいるかもしれない。
瀧本氏の本にも記載があるが、そういった対策にはぜひ大手予備校の冠模試や過去の冠模試問題集を利用してほしい。
正直なところ、わたしが受験生の時は、過去問という大学の教授が作成した実際の問題と比べて、所詮は「予備校の先生が作った予想問題に過ぎないじゃないか」と予備校が作った模試や対策問題集をバカにしていた。
しかし、少し歳を重ねてからこういう風に思うようになった。
「冠模試になるような対策模試は、どの予備校も威信をかけて本気でやるだろう」
「そうであれば、同じ大学を目指すライバルたちの多くが受けるだろうし、自分の立ち位置を知るのにこれ以上に制度の高い試験はない」
「半端ではないほどしっかりと分析をしているだろうし、そうであれば過去の出題単元などは避ける形で予想問題を作っているだろう」
「記述式の採点を自分で行うのは難しいが、予備校の先生の方が色眼鏡なしに公平中立に採点をしてくれる」
ふと考えただけでもこれだけのプラス要素が思いついた。
受験を飯の種にしているプロたちのなかでも、トップクラスの人々が全力で対策をしているわけだ。これを否定するようであれば、予備校の一切を信用しないくらいの勢いが必要だろう。
受験対策の総決算として、これ以上ふさわしい実践の場はない。
もし予備校に所属しているのであれば、こういったサービスは最大限に利用すべきであるし、所属していなくとも活用できる部分は骨の髄まで利用しよう。向こうもプロであり、こちらは利用者としてできるだけのサービスを受ける権利がある。
Z会の大学別対策コースなども、お勧めである。
というわけで、秋以降での実践力養成には、模試や大学別対策問題に取り組みながら本番に備えていくのが最も効果的だろう。
そこからは、模試の見直しを丁寧にし、大学別対策にしっかりと時間をかけながら、本番に備えてほしい。
編集後記
さて、新学期になり、何を書こうかと思いながら日々を過ごしていたわけだが、瀧本氏の本に出会ったことで今回の記事の執筆に至った。
やはり、わたしは受験や勉強のことを考えるのが好きだな、と久しぶりに記事を書きながら思った次第である。なぜ、教育業界ではなく、外資系投資会社に勤務しているのだろうと思う今日この頃である。
唐突だが、過去問対策に関してのわたしのエピソードを一つ紹介したい。
わたしは、大学時代の3年半と大学院留学前の半年間くらいを、某大手個別指導塾2社に属して高校生相手の塾講師をしていた。
受験生から塾の先生にジョブ・チェンジしたことで、大人の嫌な世界をみることができるようになったわけだが、塾長(社員)から、過去問対策は、冬期講習または直前講習でやらせるから、それまで勝手に赤本を解かせないように!というようなお達しが出た。
要は、冬期講習や直前講習に「○○大学対策特別講習」みたいなもので過去問演習をするから、勝手に過去問に手を付けて「講習を受けなくてもいいや」と考えさせるな、ということだ。
自分で対策をさせないことで、結果として多くの特別講習を受けるようにと誘導するわけだ。
ビジネスとしてはうまいやり方なのかもしれないが、受験生の立場に立つとあまりにもひどい対応だ。
塾の使命は「生徒を志望校に受からせること」なのか、それとも「不安を煽って、たくさん講習をとらせて金を巻き上げること」なのか。
会社が儲かるかどうかなんて、正直どうでも良いと思っていたただのバイトの身であるわたしとしては、このような塾の考え方は良心の呵責に苦しむものであった。
受験生と年齢が近い私からすると、志望校に受かってくれることこそが第一だったのだ。
なにより、会社が儲かろうと私の時給が上がるわけでもない。
バイトとはそういうものである。
かくしてわたしは、社員の言うがままに講習を案内すると同時に、受け持った生徒には「赤本はどんどん解け、別に講習を受けるまで律儀に解くのを待つ必要はない」という風にこっそりアドバイスしていた。
生徒が私のアドバイスに従ったのか、講習をとったのかはわからないが、わたしとしては志望校に受かってくれればよい。講習を受けようが、受けまいがどうでもよかった。それが良かったのかどうかは知らないが、多くの生徒は見事受かってくれたので良しとする。
もちろん、すべての塾や予備校がこのような指示を講師にしているわけではないだろう。
受験生にインタビューをしても、予備校の先生に感謝をしているとの発言が多い。上記のような経験をしたわたしにとっては、汚い大人ばかりではなくて良かったと思う限りである。
ただ、塾によっては、もしくは社員によっては、儲け重視な考えは当然あるだろう。
営利組織である以上、それは仕方がない面もある。生徒から巻き上げた月謝がわたしの給料である。
しかし、これも先ほど書いたが、塾にせよ、学校の先生にせよ、あなたの合否にもその後の人生でも責任をとってはくれることはない。あなたの合否は広告に載せる合格率の数字を少し変える要素に過ぎない。
受験の責任をとるのは自分自身だ。
学校が対応してくれなかったからだ、塾の先生が悪いからだ、といくら文句を言っても、勉強をするのも、試験を受けるのもあなただ。代わってあげたいと思うことはあるが、代わってあげることは残念ながらできない。
先生の言うことを聞くのもよし。
自分の信じる道を行くも良し。
大切なのは志望校に受かること。
そしてその大学で精一杯学び、たくさん遊んで、その先のより良い人生へとつなげていくことだ。
このサイトも多くの受験生の役に立ってもらえれば幸いである。