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2021/9/7 2022/07/11

塾・予備校に頼らず慶應義塾大学文学部に合格したIくん 中篇

塾・予備校に頼らず慶應義塾大学文学部に合格したIくん 中篇

映えある第1回のインタビュー、話を聞かせてくれたのは一浪から見事慶應義塾大学 文学部(以下:慶應)に合格したIくんだ。

Iくん受験プロフィール

合格校 慶應文、東北経済(現役)
不合格校 一橋経済、慶應経済
受験科目 国語、数学、英語、世界史、倫理政経、生物
共通一次結果 761/900
高校のレベル 県立トップ校

前回記事では、彼の現役時代、高校に見放され、孤独ながらもひたすらに努力を重ね、目標だった一橋合格にあと一歩のところまで迫った体験を掲載した。

全3回の中編における本記事においては、仮面浪人時代の体験を載せていく。

現役合格 コロナ禍の襲来

塾・予備校にも学校にも頼らず、独学で旧帝大現役合格まで上り詰めたIくん
しかし、将来の夢であったマスメディアへの就職のことを踏まえ、メディア系に強い大学(MARCHの一つ)へと進学した

入学時点の彼は仮面浪人する気など毛頭なく、華のキャンパス・ライフを送るつもりでいたようだ。実際、彼は4つものサークルに参加し、大学生活を楽しもうとしていた。

しかし、受験を終え、念願であった東京の大学に進学した彼に不幸が降りかかる。
そう、コロナウイルスの蔓延である。

彼の入学したタイミングは、すでに日本においてもコロナ感染者の増加が危険視され始めていた時期であり、初日からオンライン授業を強いられることとなった。

合格後、一人暮らしの準備は進めており、荷物だけは東京に送ってあった。(合格発表から学期が始まるまでの間というのは意外と時間がないため、このあたりの対応は結構シビアに進めておかないといけないものである)
だが、結局キャンパスへ通う目途はたたず、東北の実家での生活が続くことになる。

仮面浪人時代 成績開示と再燃した一橋熱

努力の果てにたどり着いた大学生という肩書、しかし蓋を開ければ実家でオンライン授業を受ける毎日。複数のサークルに所属し、活動はしているものの、メンバーに会える機会もほぼ無く、一度も校舎に足を運ぶことのない大学生活となっていた。

そんな中、成績開示の通知が7月に届く。
日本一雑とも言われる一橋の成績開示、届いた通知を開くと、そこには自身の得点が記載されていた。

 

566点

 

結果は、知っていた。不合格だ。

しかし、載っていた数字は酷く無情だ。
センター試験1問分、マーク一つが合否をわけたという、あまりにも無体な現実を突きつけてくるものだった。

この数字を目の当たりにした彼の胸中を言い表すことは、非常に難しいだろう。
不合格を知り、声を上げて泣いたときを超える悔しさを抱いたかもしれない。
いっそ知らない方が良かったと忸怩たる思いを抱いたかもしれない。

中学時代から長い期間憧れ、努力に努力を重ねた分こみ上げてくる悔しさ。
この感情に向き合ったことで、彼の中に捨て置かれ燻っていた想いが、俄に高まってきた。
そう、あと一歩で合格に届いていたという悔しさと同時に掴んだ確かな手応えに、一橋への熱意が再び戻ってきたのである。

新たな挑戦の開始

こうして、2020年7月、Iくん第2の挑戦が始まることとなる。

早速両親に相談した彼は、仮面浪人を認めてもらう代わりに、以下の条件を満たす約束をした。
現在の大学の最大取得単位を取ること
自動車の免許を取ること
子どもの未来を案じている親御さんならば条件を出すことも当然かもしれないが、1つ目の条件だけみても相当厳しいものだ。(自動車免許に関しては大学合格後でも良かったのではないかと思わなくもないが、条件として出されれば扶養家族は有無も言わずに達成する以外にない)

当然、大学で初めて習う内容の授業も多く、第二外国語もある。つまり、これまでの知識で対応できるものがあまり無く、習得するための勉強が必要になってくる。そういった単位を全て落とさず、かつ一橋大学合格レベルの受験勉強をするというのは、かなり高いハードルと言えるだろう。

しかし、覚悟を決めた彼はこの挑戦を開始した。

ここからは、彼の仮面浪人時代の生活はどのようなものだったのか、みていこう。

仮面浪人時代の勉強スケジュール

「4つのサークル活動」「全単位取得」「自動車免許の取得」「受験勉強」

どれをとっても相応の時間をかけなければならず、こなすだけでも大変な毎日になることは目に見えていたが、Iくんは上手に時間を使うことで勉強時間を確保していた。

平日は授業間のすきま時間を確保し、週末にはまとめて4~5時間を受験勉強に充てた。
多忙な大学生活を過ごしながらも、週平均で30時間程度の勉強時間を捻出していたのは特筆すべき成果である。

サークル内でも役割をこなし、免許を取得し、あらゆる手段を使って単位を取得しながら、Iくんは勉強を続けた。受かるための勉強を。

再挑戦における受験戦略

現役時代の貯金がある程度残っているとはいえ、かけられる時間の絶対量に関しては、間違いなく減ってしまう。そのため、彼は現役時代の反省点の洗い出しとその対策に焦点をあて、受験勉強をすすめていった。

配点に対する優先度の見直し

まず、現役時代の反省点として、配点に対するリソースの配分を意識しきれていなかった部分があった。そのため彼は、共通一次の理科をしっかり抑えることを意識した。

Iくんの志望する一橋の社会学部は、共通一次の科目のうち理科のみ100点分をそのまま2次に反映するが、それ以外の科目(英語、国語、数学、社会)はそれぞれ200点を20点に換算して使用する方式をとっている。

この配点の妙から、俗に言う足切りを突破さえすれば、理科以外の科目は失敗しても二次試験に与える影響は少ないのである。

具体例を上げてみよう。
国語で200点満点中190点(95%)を取ったとしても、10分の1の19点に圧縮される。そのため、最上に近い結果だとしても、2次試験1000点満点には1点分(0.1%)の影響しか与えない。逆に、最低限とも言える160点(80%)だったとしても、影響は4点(0.4%)に留まる。
一方、理科は共通一次の素点100点がそのまま使われるため、95点を取るか、80点を取るかで15点の差がそのまま反映されるのだ。

現役時代、Iくんは共通一次の数学が不安だったあまり、前日の復習をほぼ数学にあててしまい、二次への影響が強い理科をおざなりにしてしまった経験がある。

その戦略ミスを悔いていたからこそ、しっかりと方針を立てて勉強を進めていくようになった。

出題傾向の予測と対策

個人レベルで出題傾向の分析とヤマをはるのは大変ではあるが、Iくんはやってのけた。
過去問を集め、研究し、例年頻出しているが近年出題されていない分野に焦点をあてて勉強する、といった対策をしたのである。

結果としてヤマはハズれていて、出題された問題の中に影も形もなかった。しかし、誰に頼ることもなく、予測をたてられるレベルで過去問研究をしっかりしているという時点で、相応の対策は立てていたと言えるだろう。

これが出来ている人は、贔屓目にいっても多くはないと個人的には思っている。
せいぜいが、予備校の対策テキストを解いて、予想問題集をといて、ひとまず対策ができていると考えるのが関の山ではないだろうか。

浪人生に関して言えば、基礎学力に関しては受験レベルに達している場合が多いだろう。少なくとも現役生よりも固まっているはずである。そのため、直前期まで控えておくなどせずに、早い時期から過去問を一通り解き終え、出題傾向や特徴などを研究し、それに基づいた対策を自分でするべきである。

Iくんはそういった対策を現役時に十分こなしていたことから、自身で対策をとれるだけの理解ができていたのである。

仮面浪人と受験シーズン

いかに現役時代頑張った経験があり、対策や方針も当時よりきちんと立てることができるとはいえ、仮面浪人での全単位取得、そして受験勉強の両立というのは想像を絶するほど大変だ。

そして、そんな大変な状況の中でも特質すべきことは、なんといっても大学後期の試験シーズンが受験とかぶることだろう。実際、Iくんも共通一次試験の次の日に語学の試験があるなど、過酷な受験シーズンを送っていた。

彼が通っていた大学は、第2外国語の単位を落とすと即留年するという厳しい規定もあった。
そのため、彼は両親との約束を守るため、何が何でも単位を落とすわけにはいかず、共通一次試験が終わった後も全く息の抜けない時間が続いた。

そうして受験期は過ぎ去っていく中で、Iくんは私立大学の受験も両親に相談する。
大本命は一橋大学へのリベンジだったのかもしれないが、仮面浪人として過ごす中で覚えた今の大学への違和感から、もし一橋がダメだった場合でも、より良い大学へと進みたいという気持ちがあったのかもしれない。

両親の許可をもらったIくんは、社会学科のある慶應文学部、力試しとして慶應経済学部を追加で受験することを決めた。願書締め切り期限がギリギリに迫っていた中での軌道修正であった。

一橋大学の勉強はしていたが、慶應の対策は全くしていない。
共通一次試験の後、慶應経済は英語を少し、文学部に至っては少しだけ見た程度だという。
小論文は添削してくれる人がいなかったので、ぶっつけ本番での試験となった。上手く書けるかどうかよりも、時間内に書き終わるかの方が心配だったそうだ。

Iくんのリベンジ ~ 結果と進路 ~

仮面浪人の結果、本命の一橋大学と慶應経済が不合格ではあったが、Iくんは慶應大学文学部に合格した。彼はこの春から慶應ボーイとなり文学部で学んでいる。

一橋に合格はできなかったものの、日本トップレベルの大学に向けた勉強をしていたことから、ほぼ無対策で慶應の文学部に合格することができた、という結果だろう。懸念していた小論文も、大学でレポートを書いた経験が活き、合格の要因かもしれないと言うのだから、本当に全てに全力であたっていたことがよく分かる。

彼の自己分析では、一橋の敗因は偏に勉強不足であったとのことだ。

そう聞いたときにまず思ったのは「さもありなん」ということだ。
勉強不足といっても、それは彼が怠惰だったわけではない。
両親との約束をしっかりと守り、大学の授業を疎かにしなかったが故の、可処分時間の不足であることは疑いないことだろう。

大学の授業をしっかりと受け、試験を通過し単位を得て、しかも一橋大学レベルの受験勉強をするなど、なかなかできることではない。最後まで完遂し、在籍していた大学よりも1つ2つ上のランクである大学に合格できたこと自体、彼が如何に努力をしたかを物語っている。

インタビューを通して

Iくんの破天荒ながら実直な受験生活の話を聞いていて、筆者が感心したことが2つある。

一つは彼が受験に関する全てのことを自分で考え、決断し、実行に移したことだ。
高校時代は学校の先生と折り合いがつかず、仮面浪人時代も頼れる人は少なかっただろう。そんな中、彼は自分で出題傾向の研究をして、それに対する対策を取った。現役時代の反省を活かし、浪人時代の勉強に反映させた。

しっかりとした目標を立て、それに向けて邁進する姿勢は、多くの受験生にとって参考にすべき姿といって過言ではないだろう。

もう一つ感心したのは、彼のご両親のことだ。
正直に言ってしまうと、彼のご両親は決して甘くない。現役時は私立大学の一般受験を認めず、仮面浪人時も非常に厳しい条件をIくんに課している。そして、かなり過酷な勉強を続けてきた彼をそばで見ていながらも、その約束を途中で取り下げたり緩めたりすることなく、最後まで守らせている。

約束を果たし、きちんと完遂した上に結果を出したIくんももちろん立派だ。
しかし、甘い顔をするだけでなく、筋を通しさせた上で合格を心から喜んであげる姿勢を、一番甘やかしたいと思っているだろう両親の立場で保つというのは、とても意義のあることだと思うのだ。

受験という機会

筆者はこれまで多くの受験生やその両親と接してきた。
目につくのは「学校の言いなり」「塾・予備校頼み」という受験生や親があまりにも多いことだ。

学校の先生が言ったから、予備校のチューターがおすすめしたから、みんながやっているから、人気の講義だから…決断を他人や外部からの意見に依存し、自分で選択をしない、できない受験生や保護者は非常に多い。

もちろん、それでも努力して勉強をすれば志望校に合格はできるかもしれない。
しかし、いつでも的確で適切な助言を他人してくれるとは限らないのだ。

長い人生を過ごす中でより大切な資質として「自分で物事を調べ、分析し、行動する」というものがある。これは、受験という人生で数少ない機会に磨かれる重要な素質である。

インタビューを通して感じたIくんの特筆すべき点は、高校生ながらそうした習慣をしっかりと身に着けていることだった。

受かることが絶対の目標だったとしても、こういった苦労の仕方をした人のほうが、人間的により成長し、面白い人になっていくのではないかと、個人的には思っている。

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