TOP インタビュー 一浪で慶應義塾大学 商学部合格をつかんだTくん 現役時から難易度を引き上げた、日本最難関大学への挑戦
2021/10/28 2022/07/11

一浪で慶應義塾大学 商学部合格をつかんだTくん 現役時から難易度を引き上げた、日本最難関大学への挑戦

一浪で慶應義塾大学 商学部合格をつかんだTくん 現役時から難易度を引き上げた、日本最難関大学への挑戦

今回ご紹介するのは、一浪を経て慶應義塾大学(以下、「慶應」)商学部に合格したTくんだ。

Tくんは、前回インタビューのKくんと同じ寮で勉強に励んだメンバーである。バックグラウンドも志望校も異なる2人であったが、寮生と励まし合いながら、それぞれ合格を勝ちとることとなった。

私立専願で3教科に全てを注いでいたKくんと違い、現役時から引き続き国立への進学を希望したTくん。彼はどのような受験生活を送っていたのだろうか。

Tくん受験プロフィール

合格校 慶應商学、受けたMARCH全て、青山学院大学(現役時)
不合格校 京都大学、早稲田法学部、早稲田商学部、大阪大学(現役時)
受験科目 英語・日本史・国語・数学・基礎生物・基礎化学・倫理政経
共通一次結果 756/900
高校のレベル 県立トップ校

現役時代 - 不完全燃焼と再挑戦 – 

関西地方の県下トップクラスの高校出身だったTくん。

周りのほぼ全ての人が当然のように受験する環境で、彼は着実に自分の力を伸ばして受験に挑んだ。結果、全学部入試で青山学院大学に合格はしたものの、本命であった大阪大学には落ちてしまった。

この結果から、Tくんは浪人を決意する。

本来であればもう1年余計に勉強をするというのは相当大変で大きな選択になるが、それでも彼が浪人を決めたのは、不完全燃焼だったからだろう。

彼のチャレンジ精神が燻っていたのは第一志望の大阪大学を、僅か10点差で不合格となってしまったことが大きな要因だ。「これで終われない」という心持ちになったのだ。

リベンジ欲が燃え上がったことでTくんは志望校を引き上げ、日本最難関の一校である京都大学を目標に定めた。

これは完全に個人の感想であるが、難関国立大学を志望していた人ほど浪人するパターンが多い傾向がある(逆に、国立大学に合格していても早慶上智やMARCHに進学する人もいるので一概には言えないが)。

それだけ、懸けてきた熱意と手にした結果に差を感じてしまった、ということなのだろうか。こうして、Tくんは完全燃焼する道を選んだ。

良い悪いの話ではなく、納得して受験生活を終えるということは非常に大切だ。

かくいう筆者自身も、悔いが残る受験生活を未だに引きずっていたりするのだが、その悔いは長く長く残ることもある。

コロナ禍と自学自習

この時期に受験を迎えていた学生は気の毒としか言いようがないのだが、寮に入るかどうかというタイミングで、コロナが猛威をふるい始めた。

感染被害防止のため河合塾では通常の授業形式の講義はなくなり、6月までは動画授業を強いられることとなった。

恐らくこの時点でダレてしまった受験生も多かったことだろう。しかしTくんは「コロナ禍による影響はあまり受けなかった」と語っている。

というのも、Tくんはもともと自学自習が身についており、講義と自習を明確に区別して考えていたのだ。実際、動画授業は倍速再生などを駆使して午前中に消化し、午後以降は自習時間を多めにとる形にしていたらしい。

「究極的に勉強は自分でするもの」という意識をもっていたTくんは、受験生活においても総じて主軸を自習に置き、予備校の授業は「栄養補給」──つまりは足りない部分、苦手な部分の克服のために予備校の授業を活用するという捉え方を崩さなかった。

この勉強に対する考え方は、”全ての受験生が持っておくべきもの”と断言しても過言ではないと筆者は考える。特に、予備校に通っているだけで満足してしまっているような受験生は、大いに参考にするべきだ。

勉強をある程度やっていると、ある日ふと理解が進み、霧が晴れるような感覚に陥ることがある。これは、わかりやすく面白い授業を聞いて感心しているだけの時間とは違う、自身の深いところで納得し、理解できた瞬間だ。この瞬間を引き寄せるのは、やはり自学自習により自分自身で理解を深めるしか無い。

現役時、旧帝大にあと一歩のところまで迫った実力は伊達ではなかったのだ。

この考え方を大切にしていたTくんは、受験生として非常に強かった。

コロナをもろともせず、地に足をつけた勉強を続けていたのである。

模試の好成績という諸刃の剣

元々レベルの高い受験生であったTくんは、模試でもその実力をいかんなく発揮した。

駿台の「京大入試実践模試」や河合塾の「京大入試オープン」といったいわゆる冠模試で、B判定やA判定といった好成績を連発したのである。

わかりやすく「自分のやってきた勉強が通用する」という実感を得ることができたわけだ。

受験生であればこれほど嬉しく、また自信のつくことはないだろう。

冠模試で結果が出ていれば、あとは本番まで一直線、といった心持ちになるものだろう。

当然ながら、Tくんもそうであったはずだ。

しかし、現実はそう簡単にいくものではなかった。

進学先からも分かる通り、彼は結果として京都大学に合格できていない。

順調に受験生活を過ごし、文句無しの結果を出してきた彼が合格できなかったのだ。

では、それは何故なのか。

全てが終わり、大学生となったTくんは「模試で高判定が出てしまったことによる慢心があった」と反省点をあげた。

これは当落線上から一歩上に進むことが出来てしまった受験生のみが陥る、呪いのようなものなのかもしれない。しかし、こうした油断や慢心で本番に力を出しきれなかったという話は、枚挙に暇がないことも事実なのである。

もちろんTくんが努力を怠ったとも、受験が失敗だったとも言うつもりは一切無い。彼の努力は本物だ。

しかし、どれだけ悔やもうと、彼は求めていた京大合格という目標に到達することができなかった。

飄々とした雰囲気でインタビューもそつなくこなしていたTくんであったが、流石に京大の話をするときは悔しさを滲ませていた。それでも語ってくれた彼のこの経験談は、受験生にとって重要な示唆に富んでいるだろう。

模試の結果に一喜一憂してはいけないワケ

模試とは、受験においてどういうものあるか。

筆者が思うに、それは合格の可能性を上げてくれるチケットでもなんでも無く、あくまでも現在地の確認に使う場所、チェックポイントのようなものだ。

模試が有用だと言えるポイントは挙げればキリがない。

例えば、試験の感覚を磨いてくれる、雰囲気に慣れることができる、似た問題を同じ制限時間で解く経験ができる、パッと思いついただけでもこういった利点が挙げられるだろう。

しかし何より、現時点での自身の実力を、絶対評価と相対評価で示してくれる点が最も重要だ。模試を受けることによって、自分の現在位置を知れるのだ。

点数という、テストをどれだけ解けたかという絶対値。

順位や偏差値という、同じ大学・学部を志望する学生間での相対的な己の立ち位置。

そしてそれらを総括したA~E判定という指標。

悪い判定であればそのままでは合格が難しい、良い判定であれば合格の可能性が高い、ということを意味する。

それは「これまでの勉強が間違っていない」「今のペースで勉強を続けていれば受かる可能性が高い」という証であり、受験生にとっては福音にも感じられるだろう。

冠模試であれば、母集団が広範な受験生ではなく、本気でその大学を目指している人に限られるため、合否判定の信頼性も高くなる。

余計、結果に一喜一憂してしまうというものではないだろうか。

しかし、改めて注意しなくてはいけないのは、模試はあくまでも模試であるということだ。

当たり前ではないか、と思うだろう。

しかし、模試の判定結果がそのまま本番に反映されると考えてしまう受験生は多い。

A判定やB判定を取れば、まるで受かったかのような気持ちになってしまう。

逆に、E判定やD判定を取れば、自分はもうだめだと思い込んでしまう。

Tくんも、ここに陥ってしまった。

高判定を取ったことが慢心につながり、その後の勉強で詰めの甘さが出てしまった。

勉強哲学と言ってもいい考え方をもった彼のような人ですら、慢心という罠を避けることが出来なかったのである。

こうしたエピソード1つとっても、一人の受験生の受験生活を狂わせるだけの影響力があることがわかってもらえるだろう。

模試の判定に一喜一憂するのは、模試の結果を受け取った日だけにするべきだ。

模試のA判定を眺めていても成績が伸びることはない。

次の日からはまた気持ちを新たにしたほうが良い。

いってしまうのは簡単だが、それで済まないのが模試の結果というものだ。

模試とは中々に難しい要素である。

模試の詳細に関しては長くなってしまいそうなので、また別の記事で取り上げよう。

国立大学志望者の直前期という難しい時期

Tくんは、自身の精神的な甘えを自省していた。

ただそうは言っても、彼は模試の結果を受けた後も毎日8時間以上は勉強しているのだ。

客観的にみれば、彼の努力は並大抵のものではないと言える。

そう、彼が反省していたことは模試での慢心以外にもう一点あったのだ。

それは、直前期の時間の使い方だった。

国立大志望であれば、冬季は当然共通一次の対策に時間を割かなくてはならない。

しかし、それと同時に早慶をはじめとした難関私立大の対策も本格的開始する時期になってくる。

こういった直前期の時間配分は、実に大きな悩みの種となる。

共通一次を甘く見てはいけない

Tくんが共通一次の対策を始めたのは12月半ば頃からであったが、もう少し早めに対策をしておけばよかったと振り返っている。

というのも、大学ごとに配点の大小はあれど、共通一次の結果は当然ながら合否の評価に影響を与える。

よほど2次試験で差をつけることができなければ、最後は1点2点を争い、共通一次の結果勝負になっても全くおかしくないのだ。

これは僅か3点差、共通一次の1問分で夢破れたIくんの受験経験からも見て取れる。

また、志望校が後期も募集している場合、さらに高得点出しておく必要がある。

京都大学は一般的に共通一次の配分が小さい大学ではあるが、それでもやはり共通一次の重要性は変わらない。

Tくんの模試結果を確認してみると、マーク模試(共通一次形式)と記述式模試(2次試験形式)では、マーク模試がC判定、記述式模試がB~A判定となっていた。

記述で良い点数が出れば総じて模試の判定もよくなるわけだが、その高判定を根拠にした過度な楽観をせず、同時に共通一次対策を疎かにするべきでなかった、というわけだ。

私大対策も一筋縄ではいかない

受験は単純な算数ではない。

京都大学の偏差値を仮に75とし、そこを目指して勉強をしていれば、早慶(主に偏差値65~70)に問題なく受かるかというと、そういうものではない。

出題傾向や各科目の配点も異なることから、それぞれの大学の傾向を調べ、対策をしなくてはいけない。特に早慶は出題傾向が独特な学部が多いこともあり、最低限の準備だけでも相応の時間が取られるだろう。

早慶対策に時間を取られれば京大対策が疎かになり、京大対策をしていれば早慶対策に十分な時間を充てられない。それに加えて共通一次の対策も必要になる。

これは、最難関校受験生に特に強くのしかかる苦悩といえよう。

受験本番を見据えた勉強計画を立てる

受験本番が近づくほど、時間の使い方、ひいては勉強計画の立案が重要となってくる。

Tくんはあくまで京都大学合格を目標として設定し、早慶対策はほとんど行わなかった。

まともに早慶形式の問題を解いたのは河合塾主催の早慶冠模試である「早慶オープン」を受けた時だけだったようだ。

結果として慶應商学部に合格するだけの実力をつけていたが、早稲田大学は法学部、商学部に不合格となっている。早慶レベルともなると、それだけ一筋縄で行くことは無いということもしっかり理解しておくべきだろう。

 

Tくんレベルの学力を持っていても、一歩間違えば慶應に合格することもできず、現役時とあまり変わらない結果で終わっていたかもしれないのだ。

本番に向けてどのように時間を使うかを予め決めておくことが大切だと言える。

大本命に全霊を注いだ彼の選択が間違いであったなどと口が裂けても言うことはないが、全く違う戦略をたてることも可能であることを忘れてはいけない。

受験戦略は受験生の分だけある

例えばの話をしてみよう。

Tくんは共通一次で5教科7科目を756点/900点、実に84%もの得点率を叩き出した。

マーク模試でC判定、共通一次が苦手だと語っていたにも関わらずこの点数を取れるのは流石の一言なのであるが、共通一次利用ではMARCHに絞っていたようだ(ちなみに出願した大学は全て合格)。

この得点率をみてしまうと思い浮かぶのが、早慶の共通テスト利用だ。

残念ながら慶應は無くなってしまったのだが、早稲田に関しては共通テスト利用が存在する。

対象学部は政治政経学部、法学部、人間科学部、社会科学部、スポーツ科学部と限られており、彼の志望している商学部も無いので論点が少しずれるかもしれない。

しかし、早慶レベルの大学に合格しておくという一点のみを考えるのであれば、共通一次で90%を穫れば勝負することができる戦いだ。

意外と意識されないことかもしれないが、倍率も一般入試と比べて低くなっている。

直前期、仮に共通一次に更なる力を割くことで9割台を目指せたのであれば、二次にも有利になり、早稲田を抑えることができていたかもしれない、ということになる。

あくまでたらればではあるが、筆者がぱっと考えただけでも別の方向性が出せるということが少しだけでも伝わっただろうか。

このように、国立志望とはいえ、一本に絞るでも無い限り受験の戦略は幾通りもあるのだ。ちなみに共通一次で9割を取る難しさを侮っているわけではない。あくまで一例である。

終わったあとでしか見えてこないこともあるものだが、成績が良いだけが全てではない。

こういった点が受験が面白いところでもあり、難しいところでもあるところだろう。

受験を通しての学び – Tくんの場合 – 

受験結果だけをみれば、Tくんにとって最上の終わりとはならなかった。

現役から目指し続けてた国立大学の合格を逃し、悲観的になっていても不思議ではない。

しかし、彼の表情や話しぶりからは決して悲壮感はうかがえなかった。

むしろマラソンを走り終えたような、あるいは頑張りきった部活を引退した時のような、晴れ晴れとした雰囲気であった。

何より印象的であったのが、「一つの目標に向かって計画を立て、着実に実行していくというプロセスが非常に楽しかった」と話していたことだ。

これは、並の受験生に言えることでは無いだろう。何か深いところで、受験に関して完全燃焼できたことが伺えた。

老害意見で恐縮だが、筆者くらいのおじさんになっても、この「プロセスの立案」というのが如何に重要かということが骨身に染みる時がままある。

社会に出てからは結果や成果といったものは外部要因に左右されることが多いのだ。

イベントの準備を練っても当日大雨が降って全く集客が見込めなくなった、株がコロナで大暴落する、前任者から引き継いだばかりで何もわからないのに問題が起き、責められる…自分ではどうすることもできないことがいくらでも出てくる。

ただ、結果をどうすることもできなくても、過程を見直し、改善を加えることで、次回以降の成功確率を高めることはできる。

Tくんもいずれ、より厳しく結果を求められる世界に飛び込んでいくだろう。

そのとき、過程の重要性を知った彼であれば、成功確率を最大化するようなプロセスを自然と構築できるだろう。

大きな目標を掲げ、そこへ向かうまでのプロセスを楽しむことができた彼ならば、どんな困難にも勇敢に立ち向かえるはずだ。

大学に入ってから、何をするかは相当の割合で自由だ。

飄々とインタビューに応じてくれた彼の視線の先には、今何が見えているのだろうか。

編集後記

受験情報の受け取り方

当たり前だが、世の中に溢れる合格体験記は合格した体験しか描かれない。

受験生が読みたいのは気持ちの良いサクセスストーリーであり、「成功者に学べ」という言葉の通り、そこに書かれたやり方が絶対的に正しいと思い込んで真似をするのが楽なのだろう。

また、体験を語る合格者も、合格したという自尊心から、自らのやり方の正当性を強調し誇りたい気持ちが強い傾向もあっておかしくない。

しかし、どれだけ良いアドバイスにも、参考になる点と参考にしないほうが良い点があることだけは理解しておくべきだ。

このサイトの合格体験記を他にも読んでくれた人は感じたかもしれない。これらの記事は、不合格体験記といって良い性質をもっていることを。

これは、我々が考える受験生の学ぶべきことが

「合格者のやり方」ではなく「不合格者の反省」であることの証左である。

口当たりの良い合格体験談でなく、塾や学校の忖度が一切含まれない生の声を聞き、そのアドバイスを生かしてほしいのだ。

そういう意味で、Tくんの受験生活は学びに溢れていると言えるだろう。

合格といっても様々な受かり方があるわけだが、1浪で慶應と一言でいっても、様々なドラマが裏に存在している。そして、そこから何を受け取るかは受け手に委ねられているのだ。

圧倒的な実力で合格した場合もあれば、たまたま自分の得意分野が出題されて運良く合格できた場合もあるだろう。マーク式の問題で適当に選んだものの多くが偶然当たっていた場合でも合格は合格だ。

十把一絡げに合格大学だけをみて情報を鵜呑みにする愚行だけは避けるべきだ。

少しでも自分に近い、真に参考にできる体験談を探せるよう、これからも掲載を続けていきたい。

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