成功体験と同じくらい参考になる失敗体験
予備校に掲示されたり、春休みなどに家に届くチラシ
学校で行われる卒業生講演会、SNSで称賛される受験結果とその過程
これから受験生となるあなたが見聞きするこれらの受験情報は、基本的には合格体験記である。
合格した要因、役立った参考書、おすすめの予備校。
成功者は自身の経験を後輩や次の受験生へと語り、参考にしてもらおうとする。
彼らの提供する情報が参考になるのは間違いない。
しかし筆者は、合格体験記と同じくらい不合格体験記もまた有益であると考える。
この記事では、なぜ失敗から学ぶことが重要であるのかについて解説していく。
合格体験記も卒業生講演会も基本的にはCMである
塾や予備校の広告にある合格体験記、これに登場する合格者は雇われ人である。
学校が主催する卒業生講演会(という名の合格体験発表会)に登壇する卒業生も同様だ。
彼らの後ろにはスポンサーがいて、その意向に沿った内容を話すのが彼らの役目だ。そういう意味で、これらの情報はCMと一緒である。
塾や予備校の広告であれば当然スポンサーは塾や予備校であるし、卒業生講演会であればスポンサーは学校になる。だから、彼らの合格体験記は基本的にはスポンサーを褒め称え、推奨するような内容となる。間違っても、広告に「塾に通わなくても合格できます」とは記載されないし、講演会で「学校のカリキュラムは無視して、予備校に積極的に行きましょう」と語られることはない。
塾の広告であれば「この講座を取れ」「受かったのは〇〇先生の授業のおかげ」といった内容で溢れ、学校が催す講演会では「授業をまじめに受けろ」「予習復習をやれば大丈夫」「教科書をきちんと理解すれば受かる」といった、学校の授業を重視する発言が中心となる。
これら合格者からもたらされる情報がすべて嘘であるとまでは言わないが、大いにバイアスのかかった情報であることは間違いない。スポンサーの意向に沿ったことしか言えないし、逆にスポンサーにとって都合の悪いことは表には出てこない。
当たり前の話ではあるが、同じ講座を受講しても落ちる人は(おそらく合格した人数以上に)存在するし、学校の授業だけで受かった人がいるとしたら、それは灘、筑駒、開成といった超トップ校の生徒がほとんどを占めるだろう。
部活の先輩や兄弟姉妹など、利害関係を考えなくてもよい人からのアドバイスは額面通り受け止めても参考になると思われるが、スポンサーが用意した合格者からの「ご都合情報」は多少割り引いて受け止めておいたほうが良い。
合格に不思議な合格あり、不合格に不思議な不合格なし
これは「勝ちに不思議な勝ちあり、負けに不思議な負けなし」という、もとは剣術で使われている言葉をもじったものであるが、受験の世界にも不思議な合格が存在する半面、不合格は基本的には原因が明確である。
不思議な合格とは例えば、模試でずっとE判定しか取れなかったのに最終的に合格したとか、過去問では合格点に達していなかったのに受かった、など色々なケースがある。
何故あいつが受かったんだ?というようなことはさして珍しくない頻度で起こりうる。
世の中には2種類の合格者がいるのだ。
どんな問題であっても絶対に受かる学力をもっていた人と、ギリギリ受かった人である。
前者は、過去問を解いても合格点が取れるし、模試の判定も良く、メンタルが安定していて受験本番でも実力を出し切って高確率で受かる人である。
後者は、過去問の点も模試の判定も安定しないが、たまたま本番で得意な分野や単元が集中して出題されていたり、倍率が例年よりも低かったり、入学辞退者が多かったりといった、再現性のない偶然によって合格したような人だ。もちろん、運も実力のうちであるし、得意なところでしっかり得点できているのも立派なことであるのは間違いない。
しかし、いざ受験情報を収集する際に、私たちが両者の違いを把握することはほぼ不可能だ。そのため、後者の合格体験記に関しては注意しなくてはならない。
体験記として掲載される際に、逆転合格!といった文言は広告にしやすい。
シンデレラストーリーとしてもてはやしやすいし、合格者としても自身の体験を過度に美化してしまいがちだからだ。例えば彼らが「得意分野を伸ばし、苦手な領域は多少目をつぶっても大丈夫」といっても、それを参考にしすぎるのは危険であることは少し考えればわかるだろう。
体験を過度に美化してしまうのは、ありがちなバイアスだ。
本当は役に立っていなかった予備校の講座も、合格したということは有益だったのだろうと思うかもしれない。本当はもっと勉強すべきなのに、なまじ合格している人の言葉ということで、夏休み以降から必死に頑張れば問題ない!といった楽観的な情報を受け取ってしまう可能性もある。
もしくは、単に謙遜して「俺なんかが受かったんだから、大丈夫だよ」といった内容もあるだろう。全然勉強してないけど、塾のお陰で受かりました、と話しをぼやかす人も合格者には割りといるのだ。みなさんご存じの通り、「全然勉強してない」と言う人ほど死ぬほど勉強しているものである。
以上のように、合格者のいうことをそのまま鵜呑みにしてはいけない。
実際に合格した人の中にも、上のような体験をした人もいるのではないかと思う。
愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ
これはドイツの政治家オットー・ビスマルクの言葉である。
愚者は自らが経験しないと学ばないが、賢者は歴史、つまり過去の事象や過去の人の体験を知ることで学ぶ、という意味である。
不合格に不思議な不合格がない、ということとも通じるが、試験に落ちた人には必ず落ちた理由がある。何故受かったかわからないという人は存在するが、何故落ちたかわからないというような人はおそらくいない。
したがって、参考になるのは不合格者の体験記である。
さきほど、合格者は自分の経験を美化したり謙遜したりすると書いたが、逆に不合格者は不憫なまで敗因と向き合うことになる。
- 受験勉強のスタート時期が遅かった
- 苦手科目を潰さないで、得意科目の勉強ばかりしていた
- 当日緊張してしまい、思うようなパフォーマンスを発揮できなかった
様々な理由があるが、これらの失敗理由のほうが、反面教師として非常に参考になる。
- 受験勉強のスタート時期が遅かった
→現在の学力と必要な学力を比較し、逆算して本番に間に合うタイミングで勉強を開始しなければいけない - 苦手科目を潰さないで、得意科目の勉強ばかりしていた
→苦手科目の克服を意識し、どの程度勉強時間が必要なのか見極めよう。テストのレベルに対してどの程度勉強しないといけないのかをはじき出し、科目ごとの勉強時間の配分を慎重に考えるべきだ。 - 当日緊張してしまい、思うようなパフォーマンスを発揮できなかった
→緊張を和らげるために、模試の時から意識してメンタルケアをしよう。ルーティーンを作ってみたり、過去問は実際の試験時間より10分短く演習しよう。
ぱっと考えつく理由と対策だけであるが、必要かもわからない講義を参考にするよりも、先人の失敗から学べることのほうが数多くある。
参考として、下記のリンクは難関大学に合格した受験生の失敗談集である。
見方によっては合格体験記ではあるが、失敗談にフォーカスしている点は非常に参考になる。サイト運用者も旺文社であるため、予備校や学校との一定の距離があり、中立性も高い情報といえる。
https://passnavi.evidus.com/article/study/202107_08/
情報の取捨選択をしっかりと行う
学校も、塾も、予備校も、ネット上に多くの受験関連情報を流している。
一見どれも参考になりそうなものだが、本当に有益な情報なのか、受験情報風の広告・宣伝なのかを見分けなくてはいけない。
また、人間は願望に沿った情報ばかりを集めやすい傾向にある(行動経済学ではこのような傾向は「確証バイアス」と呼ばれる)。
苦手科目よりも得意科目ばかり勉強したい、と無意識にでも心が動いてしまうと、自らの希望に沿った情報ばかり目につき、「苦手科目をきちんと潰すべき」という情報を避けてしまう。
勉強の苦痛から離れたくなると、楽な方法、楽なやり方へとあなたを誘う情報を集めてしまい、自分を納得させてしまう。
これはあなたが悪いのではなく、人間の脳がこういう風に考えてしまうようにできているからである。
受験は、頭脳戦であると同時に情報戦でもある。
中立かつ有用な情報を得ることで、勉強計画や受験戦略を立てやすくなる。
自らのうちにある偏りをできる限り意識し、真に頼れる情報の収集を心がけてほしい。
編集後記
わたしがピュアな受験生であったときは、大人からのアドバイスを都度素直に受け入れて勉強していた。しかし、いざ大学生になり塾の講師として働きだすと、如何に塾や予備校が生徒と保護者の不安を煽り、できるだけ多くの対策講座を受けさせて、授業料や特別講習費用をむしり取っているかを目の当たりにした。
もちろん、これらの講習がまったく不要とまでは言わない。
しかし、あまりに多くの講座を受けてしまったら、予習や復習の時間は減り、ほかの科目や単元に充てる時間も減少していく。
こういった流れは、予習も復習もできないまま、授業中の理解すらも追いつかない講習の受講で日々時間を浪費してしまう危険性があるのだ。
特に受験生活後半は、やみくもに学習量を増やすよりもピンポイントな対策や学習の質を重視した勉強が大事になってくる(その時期にはもう、仕上げの段階に入っていないといけない)。
塾にも予備校にも、良い先生やチューターがいるのは間違いないのだが、あなたの人生に責任を持ってくれる人などだれもいない。
どのような勉強をして、どこの大学を受験して、どのように生きていくのかを決めるのはあなた自身だ。そして、正しい情報を得ることは正しい選択をする第一歩だ。
このサイトは、筆者やインタビューした学生の情報をできるだけ中立的にまとめ、有益な部分を抽出して提供することを心がけているつもりだ。その結果、なんら革新的な内容もなければ、面白くもない、実に凡庸な情報に終始しているかもしれない。
しかし、学問に王道はない。
だれであれ、学問を修得するには苦労をする必要があるのである。
そんな、ユークリッドの言葉で本稿を締めくくりたいと思う。